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六 屋号、「美好」の由来

当時の庶民の楽しみは少なく、お風浪さん祭りは大賑わいで近隣の町や村、羽犬塚、久留米、佐賀諸富からは渡し舟でお参りに来、列をなし身動きも出来ず朝から晩まで参拝客であふれていた。 留吉は当然計算済みで1週間くらい前から八女地 […]

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五、 森留吉と村石ソメ運命の出会い

明治36年(1903年)京都帝国大学福岡医科大学が筑紫郡千代村堅粕(箱崎)に開校、(明治43年、九州帝国大学医科大学と改称)。併設看護婦養成所で祖母 村石ソメ は看護学、衛生学等を習得。前述した久留米衛戍病院(陸軍病院) […]

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四、 久留市軍都となる

国分村に、明治29年陸軍歩兵第48連隊が新設され、歩兵第24旅団司令部、久留米衛戍(えいじゅ)病院等の軍施設が出来、明治43年には第18師団設立。陸軍省は明治44年9月、上津荒木村一帯約100萬坪を第18師団の演習場とし […]

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三、 剛毅豪胆 祖父森留吉伝

さて当家の祖父、森留吉(トメキチ)御井郡上津荒木藤山の地に、明治25年3月13日森萬平の三男として生まれる。上津荒木(コウダラキと読みます)は、筑後国一の宮、高良大社を祭ってある高良山のふもとから高良台、岩戸山古墳などが […]

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二、 三潴郡大川町榎津の発展

18世紀に久留米藩が若津港、柳川藩が住吉港を築港し若津地区は港町として繁栄していた。榎津地区は殆どが農地、田圃ばかりで明治12年(1879年)明治橋が出来ると次第に町並みが出来てきた。明治24年(1891年)久留米~若津 […]

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一、 ご当地とのゆかり

当家の祖母方の先祖は村石と云う姓です。室町幕府、十二代将軍足利義晴の家臣榎津遠江守の家臣団として、天文五年(1536年)榎津久米之介(願蓮寺創始者)等と供に鎧兜、武具一切を携え、京よりこの地に住まうようになりました。(願 […]

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