2025年7月
十二 讒言 菅原道真公の嘆きもかくや
父は早速、連合会臨時総会を招集し経緯を説明、協同組合を作ってくれと要請、大川商店連合会とは若津、若冶、銀座、中央商店会の連合体で事業目的など無く、大売出しを一緒にやろうということで作った団体ですが、来たる昭和47年(19 […]
十一 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
昭和30年から40年代になると安定成長期になり父も大川百貨サービス理事長(月賦販売、現代のクレッジト会社の先駆、個人の資産を提供し運営)大川信用金庫総代、大川商工会議所議員、大川商店連合会会長と公私にわたり活躍し、来る者 […]
十 為森三男君 男無私欲 沃火 活水
この為書きは、頭山満翁と親しく孫文とも親交がある大陸浪人政治家の玄洋社社員、末永節(みさお)先生より書いて頂いたものです。 父は三男坊で家督を継ぐ必要も無く、玄洋社のアジア主義に憧れており、狭い日本よりいずれ大陸に渡り […]
九 日中戦争、太平洋戦争(大東亜戦争)
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋事件勃発、9月2日支那事変と改称。森三男、昭和13年(1938年)久留米第48より抗州湾上陸作戦に出征、上海、南京、広東、南寧と転戦。軍功誉れ高く、部隊長の賞辞(賞状)を頂き昭和16 […]
八 大川デパート建立
お客さんが駆け込むと人手が足らず、留吉は近くの高等小学校に行っている父三男を授業中でも呼びに行かせ帰ってこらせて加勢させていました、気性、性格も自分に似ており素早くこなすので気に入っていました、後に久留米の結婚式場日本料 […]
七 人力車に揺られて芸者さんが通る美好料理屋から花の金一封
料理屋と言っても留吉がすることは尋常ではなく、魚貝類は河海が近いので市場より仕入れ、主にうなぎ飯、セイロ、蒲焼、スッポン料理などを供していたそうです。ところが川魚は冬になると冬眠するので冬場の献立を考えねばなりません、久 […]
六 屋号、「美好」の由来
当時の庶民の楽しみは少なく、お風浪さん祭りは大賑わいで近隣の町や村、羽犬塚、久留米、佐賀諸富からは渡し舟でお参りに来、列をなし身動きも出来ず朝から晩まで参拝客であふれていた。 留吉は当然計算済みで1週間くらい前から八女地 […]
五、 森留吉と村石ソメ運命の出会い
明治36年(1903年)京都帝国大学福岡医科大学が筑紫郡千代村堅粕(箱崎)に開校、(明治43年、九州帝国大学医科大学と改称)。併設看護婦養成所で祖母 村石ソメ は看護学、衛生学等を習得。前述した久留米衛戍病院(陸軍病院) […]
四、 久留市軍都となる
国分村に、明治29年陸軍歩兵第48連隊が新設され、歩兵第24旅団司令部、久留米衛戍(えいじゅ)病院等の軍施設が出来、明治43年には第18師団設立。陸軍省は明治44年9月、上津荒木村一帯約100萬坪を第18師団の演習場とし […]
三、 剛毅豪胆 祖父森留吉伝
さて当家の祖父、森留吉(トメキチ)御井郡上津荒木藤山の地に、明治25年3月13日森萬平の三男として生まれる。上津荒木(コウダラキと読みます)は、筑後国一の宮、高良大社を祭ってある高良山のふもとから高良台、岩戸山古墳などが […]







